ちいさいころの記憶がどこから残っているかとたどってみれば、
それはもう、夢の中のできごとだったのではないかとも思うのだけれど、
赤ちゃんのころに、沐浴をさせてもらっている瞬間だ。
まさか、そんな記憶があるわけはないと思いながらも、母が祖母と
一緒に私に湯あみをさせている映像がくっきりと思い出せる。
それからあとは、多分、2歳半くらい。母が出かける支度をしていて、
自分も一緒に連れて行ってくれると約束していたのに、いつのまにか、
ひとりで外出をしていて、約束を守らず、うそをつかれたということに
落胆して大泣きをして、その妹に対して、困惑する5歳の兄の姿だ。
※家の外で兄と遊んでいるすきに母は外出していたことに気が付いた。
「そんなに泣かれても。僕はただ、留守番していてねって言われただけだし」
…といった顔をしていた兄の顔が妙に忘れられず。思い出し笑いをしてしまう。
相手も5歳なので、なぐさめる、なだめる方法も思いつかず。だからといって、
知らない顔をして外に置いていくというわけにもいかず。まさに困惑(笑)
兄の幼稚園の発表会に連れて行かれて、兄が主役の劇に両親が誇らしげ
だったことや、幼稚園に通う前の記憶もとても多い。あざやかに思い出せる。
それに比べて、最近の記憶力の低下と来たら(笑)
認知症になった母が最近の記憶から忘れてしまい、どんどん、昔の自分のことを
今の自分と認識していく姿を思い起こす。
私は娘ではなくなって、母の姉になっていて、母が「私たち姉妹なんだから、
仲よくしなくちゃね」と言っていたことが懐かしい。
「お姉ちゃん」と言われることは少しも抵抗がなかった。
というのも、母は認知症になる前から、いぬのマロのことを私の弟という位置づけに
してマロの前では私のことを「お姉ちゃん」と呼んでいたからだ。
意味は異なっていても、「お姉ちゃん」と呼ばれることは、どこかしら安堵があった。
私の名前は早くに忘れても、他人ではないということがありがたかった。
私もこの先、認知症にならない保証はない。
家族のいない私は、どこに行くのだろうか。だれのことをどう呼ぶのだろうか。
幼稚園にあがる前のことをいつまで覚えているのだろうか。