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レイコさんの鹿児島スケッチ おいしいは幸せ時間。鹿児島の「おいしい時間」を発信しています。 画像の上にマウスを置くと、記事のタイトルと記事が少し読めます。興味のある記事をチョイスしてくださいね! 記事や画像の無断転載はお断りいたします。

聖劇で発見した三つ子の魂

クリスマスと言えば、今はなくなってしまったけれど、ザビエル幼稚園に
通っていた私は「聖劇」のことを思い出す。

フランシスコ・ザビエルは日本にはじめて「キリスト教」を広めたことで
知られ、最初、鹿児島に上陸し、まずは鹿児島から布教活動をはじめた。

ザビエル幼稚園はザビエルゆかりの幼稚園で、荘厳な教会があり、隣接して
幼稚園があって、私の幼いころは「名門幼稚園」として名高かったようだ。

あらゆる場面で宗教的な教育環境があって、クリスマスは必ず「聖劇」という
ものが行われていたことは、私は幼稚園に通う前から知っていた。

ここに1枚の写真があり、そこには聖劇の主役の衣装を着た兄と、まだ、
幼稚園には通っていない3歳くらいの私が幼稚園の廊下で写っている。

兄はかわいらしく笑っているけれど、私は不機嫌そのものの顔をしている。

そして、私はそのときのことをとても覚えているのだ。

「何で私も一緒に写すのよ? お兄ちゃんだけでいいじゃないの?」

という不満である(笑)

当時から、デキのいい兄と不出来な妹という格差を味わっていた私は、
主役の兄に劣等感を抱いていて、並べられることに腹を立てていたのだ。

今や何でも忘れてしまうババアになってしまった私だけど、小さいころの
記憶力は半端なくて、人が語ることのすべてを覚えていられるくらいだったから、
兄との格差について、すでに劣等感を抱きっぱなしだったのだ。

考えてみれば、そんなに小さいのだから、年上の兄ができることを私が
できなくても当然だと思うのだけど、うちの両親は私ができないことを
とても厳しく非難していたから、私は結構に「ひねくれて」いた。

兄は実に素直でしっかりしていて、周囲の期待にきちんと応えられる能力が
あったから、聖劇でも主役。さらには、そのときに招かれていた大勢の客の前で
挨拶をする大役も見事にこなして、私は3歳ながらも「やるな。兄貴」くらいな
気持ちで見ていたことを覚えている。

まあ、妹の私が言うのも何だけど、兄貴には邪気がないから、実にいいやつで、
決して、兄妹仲は悪くはなかったけれど、優秀で、それで頭を働かせて、うまく
世渡りできる兄と、ひねくれて、それがためにつまづきっぱなしの妹は、
家庭内の立ち位置が全く違った。

3歳でそのことを知っていた私は親に甘えた記憶がない。

ひとりで何でもする。ひとに頼らず何でも考えてみる。

あとで母が「とにかく手はかからなかった」と振り返ったことがある。

何の評価もされないけれど、ひとりで何でもできる娘と、親の自慢の息子で
手を掛けるだけかけられた兄。

母は兄には手を掛けて、つきっきりだったけれど、私は野放しだった。

高校に通う兄には朝ごはんをつきっきりで食べさせて、学校にも車で送っていたけれど、
兄が大学に進学して私がひとりになったら、母は起きたこともなかった。

私はひとりで起きて、ひとりで学校に通っていた。

そんなこんなで生きて来たから、東京の大学に進学してひとり暮らしをはじめて、
困ったことは一度もなかった。帰りたい気持ちもなかった。

家にいても一人で暮らしているようなものだったから、違和感なし。
料理も家事もできる。わからないことは調べる能力がある。

ひとり暮らしは母にクレームを言われないだけ、「幸せ快適ライフ」だったのだ。

よく高熱を出して風邪をひくこともあったけれど、看病してもらったことも
なかったから、ひとりで具合悪くなっても心細さもなかった。

大学2年のとき、それまで住んでいたアパートを社員寮みたいにしたいからと
言われて追い出されたときも、ちゃんちゃんとひとりで新しいところに契約して
引っ越しをしてと、親には何の相談もなく決めていた。

おかけで、母は兄のところにはしょっちゅう通って世話をしていたけれど、
私のところには大学4年間、一度も来なかった。

格差ありのまま、大人になってしまったのが、振り返るとおかしい。

三つ子の魂百までというけれど、聖劇のときの三歳児の「私は優秀なお兄ちゃんとは
違うけど、私は私なの。私は私でしかないの」みたいな強い意志は、ずっと生きて
いたんだろうなと思う。

とはいえ、確実に年を重ねると、そうも言ってられまへんけどね。

人の助けは必要でがすよ。ふふふ。

「年寄りをいたわれよ」と毎日思うこのごろ(爆)

若い子にやさしくしたい気持ちはわかるけどー、うちの部署の男たちは高齢者に冷たい。

やさしくして欲しいわけではないけれど、
部署仲間に親切にすべきなのは、人としての「あたりまえ」だと思いますけどねー。

「やさしさ」と「親切」は似ているけれど違うものではある。

聖劇で発見した三つ子の魂_f0130557_13195083.jpg
最近は家からの景色を見る余裕もなしです。

こんな風に相変わらず、壮大な景色ですてきなんですけど。

by kago-fp | 2019-12-20 13:27 | Trackback